三田の節分は「鬼は内」と「お化け」だよ♪

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先日2月3日は節分でしたね。
豆まきをされた方いらっしゃるのでは?
春の節分は、巻き寿司のまるかぶりや鰯の頭を柊に刺して
戸口に翳すとか、色々な風習がありますね。
実はえべっちゃん地方・・・三田市は
摂津国有馬郡三田(現・兵庫県三田市)周辺を領有した三田藩と呼ばれていました。
1633年(寛永10年) 江戸幕府が 志摩国鳥羽藩の九鬼氏の家督争いを理由に、
九鬼氏の5万6千石を分割し、九鬼久隆を3万6千石で三田藩に移封しました。
三田の「お殿さん」は「九鬼さん」
節分の豆まきに「鬼は外!」とは言い難く、
「福は内、鬼は内」と言う様になったとか・・・・・

そして・・・もう一つ 三田の節分の夜には
お化けが出たんだって!
(*ノ・)ノギャーーーー!!・・・・・
・・・・ってチャウヤロ! (≧∇≦)/☆(.. )
これも昔、お婆ちゃんから聞いた話ですが、
節分の夜に、男性が女物の和服を着て、お化粧をしたり
お婆さんが若い女の子の格好をしたり・・・
まるで
夜の街は「お化け」達がウロウロ徘徊していたそうです。
調べてみると、この風習は「節分お化け」とも言われ、
節分の夜、老婆が少女の髪型である桃割にしたり、逆に少女が成人女性の髪型
である島田に髪を結ったりしたそうです。このような異装を行うのは、
違う年齢や違う性など「普段と違う姿」をすることによって、節分の夜に跋扈
するとされる鬼をやり過ごすためであると信じられたことから始まった邪気払
いの風習の一つで、昔の三田にも、節分お化けが出てました。
( ̄~ ̄;) ウーン・・・一度やってみたいな♪とか思ったりしませんか?
松浦静山の『甲子夜話』からの引用で
「鬼は内~」
摂津三田(現・兵庫県三田市)の領主、九鬼家の節分儀式では、豆撒きの際に
「鬼は内~」と唱えるということが松浦静山の『甲子夜話』に出ている。
先年のことなり。御城にて、予、九鬼和泉守隆国に問には、世に云ふ、
貴家にては節分の夜、主人闇室に坐せば、鬼形の賓来りて対座す。小石を水に入れ、
吸物に出すに、鑿々として音あり、人目には見えずと。このことありやと云しに、
答に、拙家曾て件のことなし。節分の夜は、主人恵方に向ひ坐に就ば、歳男豆を持出、
尋常の如くうつなり。但世と異なるは、其唱を「鬼は内、福は内、富は内」といふ。
(松浦静山『甲子夜話』二)
節分の夜、九鬼家には鬼の姿をした客が来て、小石の入った吸い物を飲むという
噂があった。好奇心のつよい平戸城主松浦静山はそのことを直接、九鬼家の当主隆国
に尋ねたのだが、隆国はその噂を否定、ただ他家と異なっているのは、豆撒きの際に
「鬼は内~」と唱えることだと答えた。
「鬼は内~」と唱えるのは、九鬼家代々の伝統であったようだが、民俗学者の五来重
によると、豆撒きのときにそう唱える例は、少なくないという。
世の中には鬼の子孫という家筋はかなり多くあって、「鬼は内、福は内」という豆撒き
をする家もすくなくない。鬼の子孫という伝承をのちのちまでもちつたえた家筋は、
多く修験山伏の家筋であるが、祖霊を鬼として表象することは、実は一般的であった。
それが仏教や陰陽道の影響で邪悪な鬼となり、地獄の牛頭馬頭や餓鬼となってからは
「鬼は外」と追われる鬼になった。(五来重『宗教歳時記』)
九鬼隆国は鬼の姿をした客云々の噂を否定したが、九鬼家の豆撒きの唱えごとが
「鬼は内~」であるということは、鬼の子孫であるとの伝承が同家にあるという
ことをおのずから語るものであった。鬼の姿云々はそうした九鬼家の伝承から派生
した噂であったのだろう。
【参考文献】五来重『宗教歳時記』角川選書 1982年4月
伊予歴史文化探訪 よもだ堂日記
それから・・・・わが三田市民に親しみのある「天神さん」三田天満神宮でも
豆まきが行われました。節分祭無事盛大裏斎行の様子はココをクリックしてね。
